cyclo_harapo2009-04-25


今回は、名古屋の425BRM600を走ってきました〜♪
初めての600を走るには準備不足と体調不良が重なりましたが、果たして完走できるでしょうか・・・
 

* プロローグ
このブルベが腹ポ家の今年最大のメインイベントに据えられていたのですが・・・
その2週間ほど前に私が風邪気味に・・・べりーさんは、1週間遅れで風邪気味。
ぎりぎりべりーさんの熱は下がったようですが、前日の金曜日から私の風邪もぶり返したようです。
幸い二人とも微熱しかなかったので名古屋へ向かうことにしました。
 
で、名古屋へ旅立つまでが大変!
二日間以上、二人揃って家を空けるわけだから、当然ヒメポの世話を誰かに頼まなければなりません。
ブルベが終わったら終わったで、月曜日の仕事に間にあうように帰ってこないといけませんし・・・
今回は義母が泊りがけで来てくれたので、私たちが旅立つことが出来ました。
快く送り出してくれた義母とヒメポ、そして皆に感謝!m(_ _)m
 
更に名古屋行きの直前にムルたんが我が家にやってきました♪
初めてMazokaさんのムルに乗せてもらって以来、憧れのムルがとうとう我が家にやって来ました♪
個人間売買だったので、諸手続もある程度は自分達で・・・車検証の名義書き換えは、前からお世話になっている町の修理工場にしていただきましたが。
で、名義切り替えやETCの取り付け、ナビの載せ換えなどの作業をお願いするため修理工場まで。
私がナビのリモコンを持っていくの忘れたため、最後のナビ調整は名古屋出発の当日に修理工場へ立ち寄ってというドタバタ状態(~_~;)
 
当初の予定では、睡眠時間確保のため、金曜日午後にべりーさんは先に車で名古屋入り、私は夕方に新幹線で名古屋入りの予定でしたが・・・
いざ練習してみると・・・べりーさんにミッション車の運転は、まだまだムリみたい(~_~;)
なので、私が運転して一緒に現地入りすることに・・・しかもその道中で修理工場で最後の調整・・・どんどん睡眠時間が減っていく(~_~;)
 
最後にナビに入力するホテル名を間違え予約したのとは違うホテルに到着(~_~;)
幸い、間違えたホテルの方が手前にあり、さほど回り道にもならなかったので、タイムロス自体は少ないですが・・・紛らわしい名前(~_~;)<間違った自分が悪い!
ホテルに着いたらシャワーを浴びて、さっさと寝ましょう・・・っと、ここまでが前日編

 
* 第一日目『雨に歌えば』

当日、朝4時半を回った頃に集合場所の柳川瀬公園に到着。
既に到着していたひらまつさんと水色KLEINさんに御挨拶♪
もう雨が降るのは確実な天気なので雨具を着込むことに。
準備もそこそこに受付が始まったので、先に受付に行ってブリーフィングを聞いていたのが失敗・・・スタートに間にあわなくなり17分遅れでスタート(ーー;)
待っていただいていたひらまつさんと水色KLEINさん、すみませんでしたm(_ _)m
 

走り出すとべりーさんのペースが上がらない・・・
まだ体調が悪いらしい・・・ひらまつさんと水色KLEINさんの背中が少しづつ遠くなって行く。
で、この直後にべりーさんのサドルバックが脱落(@_@;)
ドルバックの上に載せた輪行袋袋(中身はジャケット等のウェア)が嵩張り過ぎて、お尻で上から押さえつけられたのが原因らしい。
なので、ここからべりーさんの輪行袋袋も私が持つことに・・・で、ここで気が付くとボトルゲージに在るべきツール缶がない(~_~;)
どうも車の中に忘れたらしい。
べりーさんには、先に行ってるように言うがコースが判らないと・・・
なので、べりーさんには、ここで待っていてもらって私だけスタートへ引き帰す。
 
引き返す途中、一人のブルベストとすれ違う。
べりーさんに付いて行く様にメールを送ろうかと考えたが、多分自分の判断で付いていくだろうと予測してそのまま先を急ぐ。
暫くして、更に二人組みとすれ違う・・・
で、ようやっとスタートに戻り、ツール缶を装備して走り出したのが5時40分・・・丁度40分遅れでスタートしたことになる。
 
もう一度コースを走り出して考える・・・
べりーさんは、ちゃんと走り出しているだろうか?
走り出しているとしたら、何分先行している?・・・すれ違った時間から考えて10分強、長くても15分ぐらいか?
だとすると追いつくのに2〜3時間ぐらいかと予測して先を急ぐ・・・
べりーさんと分かれた場所に戻ると、やはり居ない。
どうやら誰かについて行ったらしい。
ここからは追いつくまで頑張らないと・・・と、最初の信号で赤信号に引っかかる(ーー;)
次の信号もそのまた次の信号も赤(ーー;)
もう信号は、引っかかるものと諦めて走ることにする・・・多分、べりーさんたちも赤信号に引っかかっているはずだから差は開かないだろう。
 

30分ほど走ると前の赤信号にブルベストが見える・・・
その最後尾がべりーさんでした♪
最初にすれ違った人は、ペースが速すぎたので、次に来たご夫婦について行ったらしい。
比較的緩やかなペースだったお陰で、予想外に早く追いつくことが出来ました。
 
暫くは、このご夫婦と一緒に走っていましたが、べりーさんのサドルバックがちゃんと閉まっていなかったので、それを閉めなおすために一度停止・・・ここからまた二人で走ることに。
 
スタートからビハインドを抱え込み、またべりーさんのペースが何時ものようには上がらないので、できるだけ停止時間を減らす方向でPC1へと向かう。
まだ判らないけど、場合によってはPC1でリタイアも考えないと・・・
 


スタッフの方に撮っていただいた画像。
これは、まだPC1に着く前・・・この時は、普通に雨具を着ていました。
 
PC1、到着は10時半をほんの少し過ぎていた。
これはひらまつさんが掲示板に書いてた運行表から約20分遅れ。
このペースでも走り続けられば、時間的には何とかなりそうです・・・問題は睡眠時間の確保ですが。
 
PCでスタッフの方と少しお話。既にリタイヤした方もいらっしゃるそうです。
「奥さん、調子悪そうだけど」と、聞かれたので風邪気味で体調不良を伝え、PC2若しくはPC3でリタイヤするかもしれないことを伝える。
 
PCでの補給を済ませたら、また雨の中を走り出す。
雨具を着ていても既に中まで雨は沁みこんでいる。
私は寒さに強いが、べりーさんにはこれが堪えるようだ。
べりーさんは、PC1でウェアを着替えたが、これも濡れてくるのは時間の問題・・・で、ふと思い出したのが100均雨具。
私の輪行袋袋の中に迷ったまま積んできた100均雨具が2セット入っている。
これを雨具とジャージの間に着れば雨の進入を少しは防げるじゃないだろうか。
べりーさんにそれを伝え、近くの公園のトイレで着替えることに。
どうやらこれが正解だったようで、以降は雨の進入を大分防ぐことが出来ました。
その代わり雨具の中の汗で蒸れてインナーが濡れていきますが、それでも雨水が入ってくることを思えば随分とマシです。
 

少しは走り易くなったところで、路上にカメラを抱えたスタッフが・・・良い写真を撮っていただきました♪
腰のところに見える白いものが雨具の下に着込んだ100均雨具。
 
しばらく走り続けるとベリーさんからストップの声がかかる・・・補給がしたいようだ。
雨なので走りながらの補給ができない。
なので、路上で停まった時に、少しづつ口に運ぶしかない。
見るとすぐ先に自動販売機が見えたのそこで飲み物を買うことにする。
小銭はこの前の自動販売機で使ってしまったので1000円札を入れるが、どの機械も受け付けない。
そうこうしているうちにお札が濡れてますます投入口に入らなくなる。
あきらめて走り出したところで私の後輪がパンク。
パンクしたタイヤを剥がすと、幸いチューブラーテープがリム側に残ったので、そのまま予備のタイヤを貼り付ける。
どうせ雨の中で新しいチューブラーテープに交換しても、濡れたら接着力は落ちるだろうから・・・
チューブラーテープを交換しなかったお陰で、タイヤは素早く交換できた。
ただし、完全な接着はできていないので大きな横Gをかけるとタイヤが外れる可能性がある。
なので、これ以降はタイヤに負担をかけないように気をつけて走ることにする。

 
休息は下呂温泉付近でと考えていたのですが、べりーさんの疲労、そこまで持たず、雨の降る路上で、もう一度停まり補給食を口にする。
もう下呂はすぐ目の前だが、そこまでが持たないらしい。
 
下呂のコンビニで、トイレ休憩と補給。
この頃には、何処でDNFするかを考え出す。
べりーさんもまだ走れそうなので、とりあえずPC2までは走ることに・・・と、同時に完走は諦めている。
あとは、高山(PC2)でリタイヤするか、それとも富山(PC3)まで走るかだ。
できれば、日本海は見たいと走り出す・・・
この時、心の中では『もしべりーさんが高山でリタイヤしても自分は富山まで走ろう。その後の事は富山で考える。べりーさんが富山まで走れば、その時は一緒にリタイヤしよう。』と漠然ながら思い出す。
 
PC2にも、ひらまつダイヤから約20分遅れで到着。
ひらまつさんの設定アベよりも遅い分は、停止時間を減らして何とかなったようだ。
ここまで補給はコンビニ食ばかり、何か暖かいものが食べたいのでカップラーメンを・・・
べりーさんも、カップラーメンを選んだようだ。
他には何処で何を食べたかよく覚えていないが、パン、おにぎり、大福とエネルギー変換に時間差が出るよう食べるようにした。
クエン酸を補給したいが、今回は練り梅を持っていなかったので、おにぎりは普段は食べない梅をチョイス。
停止の時間を減らしたいので、次のPCまでは50キロ走って一度休みぐらいに考えているが、果たしてべりーさんの体がもつかどうか・・・
 
この時、ひらまつさんが水色KLEINさんと一緒に走っており、私たちが到着するちょっと前にPCを出たことをスタッフからお聞きする。
ひらまつさんたちに追いつきたいが、今のべりーさんの調子だとそれは不可能だろう。
追いつけるぐらいなら、最初に走り出した時に遅れることは無いのだから・・・
 

べりーさんはべりーさんで、この辺りのバス停のことを聞く・・・この辺りは雪が多いので、バス停にも扉があり、外の寒さを凌げるようになっているそうだ。
なので、このバス停が仮眠に使えることを・・・
 
今のペースでべりーさんが走り続けることが出来れば11時前ぐらいにはPC3に辿りつけるだろう。
PC3のクローズドタイムは深夜1時なので、ペースが遅れたとしてもそれまでには辿り着けるだろう。
既に心は富山でのリタイヤを決め、PC2から走り出す。

 

PC2から走り出して1時間もしないうちに、後ろのべりーさんが歌を歌いだす(@_@;)
うン?調子が戻った?
どうやら温かいものを食べたのが良かったらしく、いつのものペダリングに戻りつつあるようだ♪
暫く走ると目の前に登り坂が見え始める・・・と、同時にブルベストが3名(@_@;)
べりーさんに『ひらまつさん達?』と、聞かれるが違うような気がする・・・
ひらまつさんのペダリングなら、もっと高いケイデンスで走っているように思えたから・・・
少しづつ近づきながら目を凝らす・・・ひらまつさんなら日中はテールランプを点滅させていると思うが、それらしいテールランプは見えない。
でも、さらに近づくとウェアの色が水色KLEINさんとひらまつさんっぽい(@_@;)
確認するためにちょっとペースを上げて先行するとサドルバックに吊るした蛍光ストラップが見える! ひらまつさんだ〜♪

更にペースを上げてひらまつさん達に追いつく♪
挨拶したとたんに『焼肉、美味しかったよ(は〜と♪)』攻撃。
今は、それを聞きたくなかったなぁ(笑)
どうやら食事で停まっていた分追いついたらしい。
暫くするとべりーさんも追いつき、ここからは5人で走ることに。
 
ここの登りは長い・・・約10キロ続いているはずだ。
なので、無理をせず淡々と登っていく。
登りきると今度は下り。
本当ならここで登りで時間を使った分を取り戻したいがタイヤに不安があるので、ここでも無理はできない。
コーナーはいつもより減速して侵入、コーナーリング中はブレーキを使わない。
途中で減速が必要な長い下りコーナーは、多角形を描くように曲がり、その直線部分で減速するようにした。
ここまで慎重にする必要はないかもしれないが、雨の中で何が起こるか判らないので・・・
でも、今思えば雨のお陰でタイヤのグリップが下がった分、タイヤの負担も少なくて済んだのかもしれない。
 
途中、道の駅細入で休憩。

ここでひらまつさんの差し入れ♪
行きたかったけど、時間がなくて寄れなかったトラン・ブルーのパン♪
確かに日本一の味でした(^O^)b
 
この後、幾つかの登り返しをクリアしながら市街地へと進む。
上がっていく集団のペースにベリーさんが付いて行けるか心配になるが大丈夫らしい。
どうやら完全とは言えないものの、かなり回復してきたようだ。
 
集団はペースを保ったままPC3に向かう。
ほぼひらまつダイヤの予定通り、PC3到着♪
この後のことをベリーさんに仮眠の相談。
ひらまつさんは、事前に予約したあさひ食堂へ、
水色KLEINさんは、深夜営業の温泉へ・・・
深夜営業と言っても、営業時間は24時までだ。寝られる時間は限られている。
とりあえず水色KLEINさんたちと温泉に行くこととし、補給もそこそこに走り出す。


と、その前に海を見にいかねば。
残念ながら海は見えませんでしたが、ぼ〜っと照らされた海王丸の姿が・・・
日本海まで走ってきた実感が沸く。
この時すでにリタイアのことは忘れていた。
ひらまつさんたちと一緒なら大丈夫という安心感に包まれて・・・
 
温泉へと向かう道中でどれぐらい仮眠がとれるか計算する・・・
休息時間自体が1時間もとれない(営業時間が24時まで)ので、温泉に入っていると睡眠時間は30分ぐらいか?
着替える時間が惜しければ、濡れた服をもう一度着るのにも抵抗がある。
なので、私は温泉には浸からずに全てを仮眠時間に当てることを水色KLEINさんに伝える。
これを聞いたベリーさんは、そこで寝る時間がないことに気がつたらしい。
結局、温泉まで行ったが、どうせ寝る時間が確保できないのなら当初の予定通り走り続け、高山のPC4近く(ラブホを予定)で仮眠をとることにする。
 
温泉から出た後、コンビニで補給食を買った。
温泉で休むつもりだったので、補給食は少ししか用意してなかったのである。
今回は、このようなチグハグが多かった・・・
 
途中、ベリーさんが休みたいと言い出したので、大きなスーパーの軒先のベンチで休息・・・ベンチで横になる。
その間に私は暖かいコーヒーを自販機で買って飲んだ。
ベリーさんは、食欲が沸かないらしい・・・
今思えば、既にハンガーノック状態になりかけていたのかもしれない。
 
すごう峠を越える前に、往路で休んだ道の駅細入で補給と休息。
コンビニで買ってきたパンやおにぎりを食べる。
 
進みだして暫くすると今度は私の前輪がパンク。
パンクしたまま走れるチューブラーの利点を生かし、そのまま雨が凌げる所を探しているとトンネルがあった。
トンネルの出口付近まで走り、そこでタイヤを交換する。
幸いトンネルは出口付近のほうが、入り口よりも歩道が広くなっており、そこでタイヤを交換することが出来た。
前輪なので外れると怖い。なので、リムに残ったチューブラーテープを剥がし、新しいチューブラーテープを使ってタイヤを貼りなおしたが、予備タイヤ自体が濡れてしまっているので、どこまで接着力があるのか・・・
そして、このパンク修理でラブホで寝る時間もなくなってしました。
今回は、私がべりーさんの脚を引っ張るブルベになってしまった。
本来ならもう少し仮眠を摂る時間が有ったはずなのに・・・
スタートへ取りに帰ったツール缶の中身を使ったのは、結局この時だけだった。
使ったのは、チューブラーテープとタイヤレバー。
タイヤレバーはリムに残ったチューブラーテープを剥がすのに使った。
いつもなら指と爪で剥がせるのだが、雨でふやけた指と爪では上手く剥がせなかったのだ。
これで予備タイヤは全て使いきってしまった。
もうパンクするわけには行かない・・・
 
さらに進む出すがべりーさんに睡魔が襲ってきたらしい。
すごう峠を越えることは諦め、バス停を探す。
バス停はすぐに見つかった。なので、ここで仮眠を摂ることに。
話しに聞いていたように入り口には引き戸の入り口があった。
中に入り扉を閉めると、そこは超ミニサイズのコテージのようだった。
否、そう思える感覚のほうが既におかしいのかもしれないが、濡れたウェアで雨の中を20時間走ってきた私たちには天国のような安らぎの場所に思えた。
早速、今回用意してきたエマージェンシーシートに包まってごろ寝した。
ベンチはL字状に丁度二人分のスペースがあった。
脚を伸ばして・・・と、いうわけではないが十分のスペースがあった。
自転車から1Wクラスのライトを二つ取り外し、これを上向きにして室内(バス停ですよ。バス停)を照らし眠りについた。
すぐにベリーさんの寝息が聞こえてきた。そして直ぐに私も寝むりに就いた・・・
 
 
 
* 第二日目『冒険者たち』
携帯のアラームで目が覚めた。
ベリーさんも、もう目が覚めているようだ。
仮眠時間は50分。まだ雨音が聞こえると思ったら、それは川の流れの音で、雨はどうにか止んでいた。
昨日よりはマシな天気になるかな?
 
ライトを自転車に取り付け早速走り出す。
道は緩やかな登り勾配、マイペースで登っていく。
途中、白い湯気をモクモクと吐き出しているところがあった。あれが神岡の街だったらしい・・・
今回は写真も撮らずに走った。
やがて勾配が徐々にきつくなってきた。
すごう峠への登りが始まったらしい。
来た時同様、こちらからのアプローチも10キロほど続いているらしい。
ムリをせず、淡々と登っていく。
ベリーさんも仮眠したのが良かったのか、ちょっと距離は開いているものの、まずまずのペースで登ってくる。
いつの間にか、また雨が降り出していた・・・


やがて九十九折れが始まり、これが終われば峠だった。
ここでは記念にすごう峠の標識の写真を撮っておいた。
ベリーさんもさほど間を開けずに到着。
ここからは10キロのダウンヒルの始まりだ。これで少しは体を休ませることが出来る。
 
長い下りが終わると、歩道から一人ブルベストが出てきた。
同じ関西圏(と、言うよりも生活圏がほぼ同じ)のYさんだ。
おはよ〜の挨拶をすると、ここまで仮眠なしで走ってきたそうだ。
Yさんは、今年の名古屋ブルベ200でベリーさんが一緒に走った人の一人で、帰りは車で駅まで送ってもらったりもした。
PC1でご挨拶し、PC2でも私たちと入れ違いにスタートしていった。
その際、Yさんは、コンビニで買ったバナナを一本食べ、一本はバックの中へ・・・残った2本はサドルの後ろに装備したボトルケージに差込、落ちないことを願うと言って走り出していった。
私たちがPC2をスタートし5キロほど走ったら路側にバナナが2本落ちていた。
 
その後も何回か会えばそのバナナの話をした。
今回も『腹が減った。』と言うので、『もう少し走ればバナナが落ちてるよ。』と言い返した。
すると『まだまだ先やん!』って、返事が・・・すごう峠を越えてもう少しって感覚になっていたが、PC4まで18キロほど残っていた。
バナナポイントまで13〜5キロぐらいか・・・
 
Yさんは、腹が減ったと言いつつも、寒いからと丁度うどんを食べてきたところらしい。
詳しくは聞かなかったが、自販機か何かがあったようだが気が付かなかった。(あとでべりーさんに聞いたらコンビニがあったらしい。)
後から思えば、この時にべりーさんにも温かいものを食べさせておけばよかった。
今回は、このように『後から、このようにしておけば良かった。』が多い・・・これは今後に活かしたいな。
 
Yさんは、直ぐに寒いからペースを上げますと言って、行ってしまった。
べりーさんは、寒いと言ってペースが上がらない。
(軽いギアにして)ケイデンスを上げるように言うが、ケイデンス自体が上がらないようだ。
今のペースでも十分PC4の足切りには間にあいそうだが、何か一つ番狂わせが出ると危なそうなタイミングでもある。
 
緩やかな下り基調の道を暫く走ると、右手にコンビニのように明るいお店が見えてきた。
後ろからべりーさんが『コインランドリー! あそこに寄って!』と・・・
近づくと、ブルベストがコインランドリーから出て行くのが見えた。
どうやら仮眠か服を乾かしていたようだ。
 
コインランドリーに入ると予想以上に暖かかった。
機械の出す熱で室内が温もっているようで、それが暖房のように感じられ、気持ちが良かった。
濡れたインナーやジャージを乾燥機に掘り込み、100円玉を入れる。
100円で8分間、乾燥機が使えるらしい。
200円分入れたかったが、PC4の時間を考え100円で済ますことにした。今思えば、2台の乾燥機に分けて乾燥させればよかったかもしれない。
乾燥機をかける間に、残っていた補給食を食べ少しだけの休息。
 
乾燥機が止まって、中を取り出すと予想に反してインナーが乾ききっていなかった。
それに対してジャケットは意外と乾いている。
少し湿気は残っているものの。暖かいウェアは気持ちが良かった。
べりーさんも体が温もり、ペースを取り戻してきた。
あとはPC4を目指して走るだけだ。
 
PC4到着は予定よりも10分遅れぐらいで到着した。
到着すると水色KLEINさんが待っていた。
聞けば7時頃に到着し、ここで仮眠していたそうだ。
 
このPCで、タイムスケジュールはリセットされ、仕切りなおし。
今までに作ったマージンを仮眠にあて、ここに8時までに着けば、後は走りきれると皆思っていた。
ここからは、帰るだけ。だれもリタイヤは考えていない。
そうだ。名古屋に帰ろう・・・
 
コンビニで買った朝ご飯を食べているうちにひらまつさんも到着。
これでまた4人で走れる。
ひらまつさんと一緒なら時間を気にする必要もなく、安心して走れる。
 
補給食を食べている最中に尾澤代表から『奥さん、何処で調子を戻したの?』と、聞かれる。
PC2を出て、暫く走ってからと答える・・・
『どうやら、先週自転車に乗れなかったから禁断症状が出てたらしい。250キロ走ったら調子が戻った。』と、冗談を言えるだけの余裕も取り戻した。
 
PC4をスタートする頃には雨が止んでいた。
ひらまつさんは雨具を脱いだが、他の皆は雨具を着たままだった。
東の空に見える黒い大きな雲が気になる・・・
案の定、また雨が降ってきた・・・とは、言ううものの雨脚は少しづつマシになってきている。
 
途中、ひらまつさんが眠気で離脱・・・少しだけ仮眠を摂るそうだ。
暫くは水色KLEINさんとYさんの4人で走る。

下呂のコンビニで休息。
ひらまつさんもここで追いついてきた。
道の駅でひらまつさん達が仕入れた情報では、この辺りにスポーツバイクを扱うお店があるらしい・・・上手くいけばチューブラーのスペアタイヤが手に入るかもしれない。
とは言っても、店の名前も何も判らない。
道の駅のお店の人が自転車乗りで、下呂のお店で組んでもらったと聞いただけだから。
コンビニでこの辺りにある自転車屋の場所を聞くが、そのお店は閉まっていた。
それにスポーツバイクを扱うようなお店にも見えない。
他に自転車屋がないか商店街を回るが見つからなかった。
諦めて、そのまま走り出すことにする。
いざとなればパンクしたままでも走れる・・・そんなことは考えたくもないが。

PC4から下り基調とはいえ、UPダウンの連続だ。走っていると下り基調とは思えない。
来る時にはあれだけ登ったのだから、今度は下りのはずと信じて走るが、時々『こんなに下ったっけ?』と思える登りに遭遇する。
 
PC5到着。
足切りタイムまでは30分も無かったが、不安は無かった。
ひらまつさんが時間をコントロールしてくれていたから、時間のことを気にする必要はなかった。
問題は眠気。
ここまで、何回か眠気に襲われたが、ミッドナイトを一人で走った時のほどでもなかった。
しかし、これから日が暮れてくると、どうなるか判らない。
ここで水色KLEINさんに『強力打破』を教えてもらう。
この手の眠気覚ましのことは知らないが、結構効くし、持続性もあるらしい。
早速試してみることにしたら、水色KLEINさんが最後の2本を確保してきてくれた。
念のためにもう2本、眠眠打破も確保。
べりーさんと1本づつ強力打破を飲み、眠眠打破はバックに入れた。 
 
この時、誰かがもう3時間ぐらいで日が暮れることを言う・・・その時は『え!?』っと、思った。
PC5で補給食を食べたから、なんとなくまだお昼のような気がしていたのである。
PC5の足切りが3時前で、それに間にあうように頑張って来たと言うのに・・・どうもちゃんとした時間に食事を摂っていないため時間感覚がおかしくなってきているようだ。
 
PCを出る時、雨は止んでいたが誰も雨具を脱がない。
もう濡れているのが当たり前だし、雨具を着ていても気にならないから。
 
PC5を出てもUPダウンの繰り返し・・・
どっちから走っても登りばかりに感じるコースだ。 

それでもちゃんと下りはある。
何処で撮った画像か覚えていないけど、下りはこんな調子。
雨水が川のように流れている。
 
タイヤがリムから外れないよう、スピードを抑えて走っていると、時々リアブレーキのシューに異物を噛んだような音が・・・
そんな時は、パンパンと弾くようにブレーキを操作すると異音はなくなるが、暫くするとまた同じ音が・・・
 
途中、サークルK瑞浪陶町店で最後の補給。
強力打破が効いたようで、ここまで眠気はこない。
一度、眠気に襲われるような感覚があったが、途中で引っ込んでしまった。これが効いている証拠かもしれない。
 
Rブレーキの異音が止まらなくなってきたので、ここでパッドを確認するとパッドが磨り減って、もう残っていなかった。
異音は金属のシューがリムと擦れる音だったのだ。
雨に加え、パンクの影響で何時もよりブレーキを多用したのが原因のようだ。
幸い、フロントブレーキのパッドは、前回のブルベ300の直前に変えたのが良かったらしく、まだ十分に残っていた。
ここからは、ほとんど前ブレーキだけで減速することにした。
それでも雨足が緩んだのとカンパのブレーキ性能に助けられ、何の不安もなしに走り続けることが出来た。
最初こそ、下りではスピードが出ないように早め早めにと減速していたが、途中からはそれほども減速する必要が無いのが判った。
 
水色KLEINさんから、あとはトンネルまでは登れば大きな登り最後と聞くと急に足が軽くなった。
今までの脚の疲れが一瞬途切れたように感じた。
そして、トンネルを抜けると、あとの登り返しは明らかに今までと比べると小ぶりなものばかりだった。
・・・と、言ってもやはり登りは堪える。
登りは、水色KLEINさん、べりーさんの3人で走り、下りでひらまつさんが追いついてくるの繰り返しで進む。
いつの間にかYさんが居ない・・・ゴール後聞いたら、チェーンが切れたらしい。
雨の中を500キロ以上走っていると普段は考えられないトラブルに遭遇する。
 
走り続けた私たち4人も、皆チェーンをチャリチャリ鳴らしながら走っていた。
雨がオイルを全て洗いきったのだ。
チェーンを鳴らしながらゴールを目指した。
人間同様、バイクも疲れているのだ。
 
ようやく豊田市内の標識が見えてくる。
ここまで来ればゴールは、あと一歩。
と、同時にゴールが近づくにつれて信号も多くなってくる。
それまで20キロペースを維持するように、GPSの残り距離と時計を見ながら走っていたので、信号で止まる分、ペースが上がってしまったようだ。
途中、交通量の多いところは意識的に早く抜けたいという気持ちもあったし・・・
堤防道路に上がるとペースを落とした。
もう急ぐことはない。
 
やがてゴールの東屋の光が見えてきた。
手前には、昨日駐車したムルたんも停まっている。
その前を通り過ぎて東屋へ・・・これで全てが終わった。
 
 
* エピローグ『旅の仲間』 
結局、スタートした時と同じ4人でゴールした。
途中、何度か分かれたり一緒になったりの繰り返しだったが、ゴールは一緒だった。
今回は、仲間に助けられたブルベだった。
おそらく、富山までにべりーさんが復調していなかったら、そのままリタイヤしていただろう。
往路のすごう峠に入る前に復調していたが、あそこでひらまつさんや水色KLEINさん達に再会していなかったら富山までそれが持続したかどうか判らない。
 
今回はひらまつさんの作った運行表に助けられた。
ひらまつさんが掲示板に書き込んだ各PCの到着予定時刻をキューシートに書き写していたのが命綱になった。
PC1、PC2では、この運行ダイヤから20分ほど遅れていたが、これ以上遅れが大きくならなければ次のPCまでは大丈夫と走り続けた。
ひらまつさんの作る運行ダイヤも回を重ねるごとに精度を増している。さすが監督と言われるだけはある。
そして、運行ダイヤから遅れても、いつも『大丈夫! まだ一回ぐらいパンクしても余裕あるから。』とにこやかに答えてくれた。
『でもチューブラーは、パンクしちゃダメ〜!』って、おまけ付きで・・・(笑)
そして、ひらまつさんは予定を立てるのも上手いが、予定を変更してプランや時間に調整することにも長けている。
その場、その時の状況に合わせて綿密に予定を変えていく能力が凄い。やはり彼は監督だ。
 
水色KLEINさんとは、不思議な縁がある方だ。
去年、べりーさんが一人で名古屋ブルベ200に出た際、スタート前に空気入れをお借りしたのが縁の始まりだった。
そして今年の名古屋200にもべりーさん一人で行った際に再会した。
次の300では私も参加し、スタートこそ一緒にしたものの残念ながら最初のネタポイント、和菓子屋「秀枡屋」で、分かれてしまった。
更に次の400では、私たちはDNSしたが、水色KLEINさんはTさんと一緒に出走し完走した。
私たちは、復路の治部坂峠が凍結することを恐れたのだ。
水色KLEINさんは、PCで休息のたびに携帯メールを送ってくれた。
そして深夜の山岳区間が近づくと、こちらからは、凍結やウェット状況などの道路状況を知らせた。
こうやって、自分達が走っていないにもかかわらずブルベを肌で感じることが出来た。
これも不思議な感覚だった。
幸い峠は乾燥状態を保ち、凍結することはなかったが、−6度の気温でのダウンヒルは想像を絶するものがあっただろう。
 
最後の区間でYさんが居なくなったのに気がつかなかったのは悪いことをした。
チェーンが切れたのが原因で千切れたのかは聞かなかったが、もしそうなら協力できたかもしれない。
私では何の手助けにもならないが、ひらまつさんならチェーン切りとスペアのチェーンを持っていたかもしれない。
今までチェーンが切れたと言う話は聞いたことがあるが、実際身近で起こったのは、長い私の自転車経験でも初めてのことだ。
次回のブルベからは、私もチェーン切りとスペアのコマを持つことにし、ショップに新しい携帯工具を注文した。
Yさんはと言うと、後から来たまみぞーさん夫婦にチェーンリンクをいただき、そこから40キロペースで追い上げてきて時間内にゴールされた。
ブルベ前日からもろくに寝ていない上に、仮眠なしで走り続けて、まだこれだけ走れる体力には脱帽ものである。
 
で、このまみぞーさん夫婦には私たちも助けられた。
スタートして直ぐ忘れ物を取りに帰った際、べりーさんは立ち往生していた。
何時もなら、それなりにルートを把握しているし、地図とキューシートだけでも走れるが、今回はキューシートと地図を読み合わせた程度で、頭に入っているとは言えない状態だった。
これは体調不良と事前のドタバタが影響している。
それでも雨が降っていなければ、地図を頼りに何とかなったかもしれないが、あの雨の中で地図を頻繁に見るのは難しかっただろう。
そんな時に現れたのがまみぞーさん夫婦だった。
このお二人に着いて行くことで、序盤ペースの上がらなかったべりーさんのタイムロスを最小限にすることができた。
それに長時間走らずに雨の中を私を待っていれば体も冷えただろうし・・・
そして、以後もこのお二人には、コンビニやPCでお会いした。
私たちとほぼ同じペースで走っているが、落ち着いた様子で慌てた様子が全くない。私とは大違いだった。
 
私はと言えば、ひらまつさんと一緒に走っている時は、時間を気にせず走れていたが、いざ、ひらまつさんが居なくなると次のPCまでの時間が気になり、休息を怠りがちになっていた。
そのためべりーさんには、辛い目を合わせたようだ。
べりーさんのペースが上がらない分、休息を50キロごとと考えていたが、これがべりーさんには辛かったようだ。
この点は、もっと効率の良い休息の仕方があったはずだ。
 
元々ブルベに出たいと言い出したのはべりーさんの方だった。
一昨年前にネットでブルベの存在を知ったのがきっかけだった。
そこには長距離を走りながらあちこちに食べ歩いている人のブログがあった。
どうもこの時点でブルベと言うものを錯覚したようだ。つまり、美味しいものを食べ歩きしながら長距離を走るイベントと・・・
更に調べていくと、そんな生易しいものではないことに気がつく。でも、出たいというベリーさんの気持ちに変りはなかったようだ。
一方、私といえば、昔のサイクルマラソンと同じように考えていた。
これも間違いであることは、最初に走った雪ブルベで判った。
そのブルベ自体は、雪で中止になってしまったがコース上を走っている時は、雪も楽しかった。普通では、あの状況で走ることは考えられないから。
ブルベが中止になって橋本の駅に辿り着くまでが大変だったが、それも今となっては楽しい思い出である。
そしてサイクルマラソンとは全く別の競技であることに気がついた。
決定的な差は、主催者と参加者に垣根がないことだ。
スタッフは、PCなどで顔を合わせるたびに笑顔で迎えてくれた。
そしていろいろな話も聞くことが出来た。
それは、ここに居るスタッフが、今日はたまたまスタッフとしてここに居るだけで、ブルベを走る参加者でもあることを肌で感じることができた。
橋本駅から輪行して、りんくうタウンに戻ってきたた時、スタッフがコンビニで自走で帰ってくる参加者を待っていたのが印象的だった。
あのスタッフの笑顔があったから次のブルベも走ろうと決意した。
 
今回のブルベも最初に名古屋ステージで走ると言い出したのはべりーさんである。
名古屋から日本海を見に行くルートは、ハードな山岳地帯を越えることを差し引いても魅力的だったからだ。
振り返ると、何時もべりーさんが『あそこに行きたい。ここに行きたい。』と、私を引っ張っていてくれた。
これはブルベに限らずツーリングでも同じだ。
この辺は、他の御夫婦とはちょっと違うところかもしれない。
今思えば、べりーさんの『遠くに行きたい』は、初めて加古川の河川敷を走りに車で行った時が始まりだった。
当時の日記を見ると、それは2006年の3月26日のことだった。
ロード(フェルト)を購入したのは、その半年ほど前の10月。
ようやっとビンディングペダルに交換した頃だが、まだ車道が走れず、歩道ばかりを走っていた。
加古川の河川敷を走った後、車で帰るときにべりーさんが『次は自転車で走ってきたりして♪』と、言った。
私は『そりゃ、走れるでしょ♪』と、答えた。
私にとって加古川は、西に走る通過点でしかなかった。でもこの答えはべりーさんには意外だったらしい・・・
心の中で『へぇ〜、走ってこれるんだぁ〜』って思ったそうだ。
そして車の中から道を覚えようとしたらしい。
ここから、べりーさんの『遠くに行きたい』が始まった。
一人で地図を頼りに加古川の河川敷まで走るのに時間は掛からなかった。
その時は、河川敷は走らずに温泉でお昼を食べて帰ってきたそうだ。
距離にしたら40キロほどだろう。
わずか40キロ・・・でも、この40キロが100キロになり、淡路1周、舞鶴まで自走、琵琶湖1周と、どんどん距離が伸び、とうとう600キロまで伸びた。
多分、これからも私をいろんなところへ連れて行ってくれるだろう。
 
  

仲間は人間だけではない。
バイクもよく耐えて、私たちを運んでくれた。
パンク2回、Rブレーキのパッドがなくなるなどトラブルが重なったカレラ・エストレモだが、ショップでオーバーホールするとあまりヘタリはなかったそうだ。
むしろノントラブルで走りきったオルベア・オルカのほうがヘタリは大きかったそうだ。
  

ゴール後の4人、皆嬉しそうに笑っている。
あれほど大変な道のりを走ってきたのに笑っていられるのは完走できた喜びだけではないだろう。



ブルベ終了後は前泊した宿に泊まり、朝直接出勤することにしていた。
高速道路をムルで走っていると虹がかかっていた。
虹はなかなか消えず、私たちがその下を潜り抜けるまで消えなかった。